私は「断捨離」が趣味と言っても過言ではないほど、断捨離が好きです。
大学院生で1人暮らしを始め、必要最低限の物だけに囲まれたシンプルな6畳生活がとても心地よかったことがきっかけで、断捨離やミニマルな暮らしが好きになったように思います。


そんな私は、アメリカに移住して「人生最大の断捨離」を経験しました。
子どもが生まれ、移住から2年ほど経ったことで、気づかないうちに物はどんどん増えていました。ちょこちょこと物を減らしてはいたのですが、今よりも狭いルームに引っ越すことを機に、一気に大幅な断捨離をすることに成功しました。
そこで今回のブログでは「そもそもなぜ断捨離をするのか?」「私が断捨離したもの」についてまとめてみようと思います。
- なぜ断捨離するのか
- なぜ潔く断捨離できたのか
- 断捨離してよかったこと
- 「捨てなければよかった」後悔しないか?
- 断捨離したもの
- 断捨離の大切さに気づかせてくれた「言葉」
- 今日、私は奇跡が起こるための余白を作る。大事なのは、奇跡の大きさではなく、奇跡が起こるための余白をどれだけつくるかだ ーカイル・グレイ(作家)
- 賢明な人間は、持っていないものがあると嘆かず、持っているものに喜びを感じる ーエピクテトス(古代ローマ時代 哲学者(ストア派))
- 持っていないものを手に入れたいという夢想にふけるのはやめなさい。あなたが神に与えられた恵みが確かにあるのだから、その主だったものを数え上げなさい。そして、それがなかったらどれだけ切望したかを思い浮かべて、感謝の気持ちを忘れないようにしなさい。ーマルクス・アウレリウス(古代ローマの皇帝・哲学者)
- 食べるのは飢えを和らげるため、飲むのは喉の渇きを癒すため、衣服を身につけるのは寒さを防ぐため、住まいは個人的な不快感から身を守るため、それだけにしなさい。ーセネカ (古代ローマの政治家・哲学者(ストア派))
- 人生でしなければいけない一番大切な仕事は、思い出作りです。最後に残るのは、結局それだけなのですから。
- 私の人生に衝撃を与えた「民族」との出会い
- 断捨離本に惑わされない
- これから断捨離したいもの
- まとめ
なぜ断捨離するのか
一言で言えば「本当に大切なことに意識と時間を集中させたいから」です。
脳は意識していなくても、目に見えている情報を処理していると聞いたことがあります。つまり、物にあふれた部屋にいると、それだけで脳のリソースが奪われて疲れてしまうということなのだと思います。「貴重な脳のリソースを、重要ではないものに取られたくない!人生の主導権を握られたくない!」という思いから、断捨離は自分の人生で欠かせないものへと変わっていきました。
ちなみに、私は整理整頓や片付けがとても苦手です。
1つのことをやっている時に他のことが気になって、なかなか家事が進まないことも多いです。
思えば小さい頃からよく物を行った場所に置いてきてしまったり、テストでもケアレスミスが多かったりなど、注意力散漫な傾向はあったなと思います。だからこそ、持ち物を最低限にし、それぞれの持ち物の場所を決めておくことが、自分がストレスなく生活する上でとても重要なのです。
そして、余計なノイズ(いらない物に囲まれた生活・物が多いことで掃除や片付けに奪われる時間・重要でないのに気になってしまう他人の生活などなど)に惑わされないことで、本当に自分が大切なことに気づき、またそれを大切にする心と時間の余裕もうまれる、断捨離は自分の人生を生きるために欠かせない存在だと思います。
なぜ潔く断捨離できたのか
元から物にも人間関係にも執着しない性格だったとは思うのですが、アニマルウェルフェアについて勉強したことは人生の転機になり、断捨離にも大きな影響を与えました。
具体的には、自分が普段食べている肉がどんなに過酷で、残酷な状況で育てられ、恐怖と壮絶な痛みの上で屠殺されているかを知ったことです。
恥ずかしながら生まれて30年、ほとんどこの事実を知らないまま生きてきました。そんな自分が情けなく、悔しく、悲しくて何度も泣きました。これからの自分の肉の選び方、フレキシタリアンとして生きていくことは選べたとしても、過去の事実は変えることはできません。
だからこそ、自分が犠牲にしてきた動物たちに詫びて嘆くのではなく、命をいただいた事に感謝し、前向きに生きることが大切だと決意しました。
私はたくさんの動物たちの命をいただいて今生きている。
例え自分は何も持っていなくても、存在しているだけで満たされているんだと気づくことができ、余計なノイズを断捨離することがより一層できるようになったと思います。
断捨離してよかったこと
時間ができる
断捨離の1つにSNSがあります。
Instagram、X、Facebookのアカウントを完全に削除したことで、とりあえずフォローし合っている友人の近況、気になってもいないインフルエンサーの私生活など、余計なノイズが一切入ってこなくなり、他人と比較して落ち込むこともほとんどなくなりました。
今はアニマルウェルフェアの勉強や、地域のイベント情報の取得のために新しいInstagramとFacebookのアカウントを作りましたが、フォロワーは0で、本当に知りたい情報を発信してくれるアカウント以外は一切フォローしていません。
他には、物理的な断捨離で一番効果があったもので言えば「アパートのサイズダウン」です。
これにより掃除や整理整頓が楽になり、大幅な時間短縮につながっています。
自分と向き合うことができる
物を残す作業をする過程で「なぜこれは自分にとって大事なんだろう?なぜ残したいんだろう?」と何度も何度も考えました。
私の中で残す基準は「”特に”思い出深いもので、再度手に入れることができないもの」「環境やアニマルウェルフェアの観点から胸を張って使えるもの」その上で「自分の生活を豊かにしてくれるもの」です。
断捨離の経験を経て、私に大切なのは溢れる物に囲まれることではなく「大切な人と過ごす時間」「大切な人の前で笑顔でいられること」「自分と大切な人(家族や友人)だけではなく、地球や動物たちにとっても胸を張って生きられること」が重要であるという人生の指針を見つけることができました。
「なぜ自分が生きているのか」ということの自分なりの答えを見つけられたことで、日常生活における選択に自信がもてるようになり、自己肯定感も上がったように感じています。
SNSが発達し、いつでもどこでも人と比較せざるを得ないような環境、消費社会の中、人生の指針を見つけられたことは、最強の武器を手に入れたことに等しいなと考えています。
社会や地球に貢献できる
断捨離といっても、直接ゴミとして捨てたものはほとんどありません。
本の寄付ができる小さなボックスに本を投函したり、寄付できる施設に届けたり、友人に譲ったりすることで、できるだけ環境負荷の少ない形での断捨離を試みました。
自分の生活を整えることで誰かが犠牲になる(地球が汚れる)ことには罪悪感がうまれますが、寄付やシェアによって「誰かが今、私の代わりに活用してくれている」と思えることは、とても嬉しいです。
「捨てなければよかった」後悔しないか?
断捨離したけど「やっぱり手放さなければよかった」と後悔しそう、と思って手が止まることもあります。でも断捨離した後、何を断捨離したか思い出せないくらい手放したことに後悔したことがありません。
もしかすると断捨離した初期の頃は後悔したこともあったのかもしれませんが、それすら今は思い出せていないということは、人生の中で最重要だったわけではないのだと思います。
「超ミニマル主義」「超ミニマルライフ」という著書で有名な四角大輔さんの好きな言葉で「人は、本当に大切なものは絶対に捨てない。すべてを捨てたつもりでも残るものがある。『本当のあなた』である。それを一番大切にして生きるべきなんだ」というものがあります。
この言葉を読んだ時「そうだ、その通りだ!」と深く納得し、感動してメモに残したことを覚えています。大切な自分という存在だけは最後まで残り続ける、だからそれ以外の物は全て手放したとしてもきっと後悔しない、だから大丈夫、自信をもって断捨離しよう、と思えたのです。
断捨離したもの
テレビ
アメリカに移住し、家族3人で生活するようになってからはそもそも設置すらしていません。
テレビが常設されていることで、子どもに「テレビを見たい」という誘惑を与えやすくなってしまうことを懸念して最初から置きませんでした。
私も夫もアメリカのテレビ番組に一切興味がないので全く問題ではありませんでした。
余分なバスタオルやタオル
形やサイズ、柄の異なるタオルが大量にあったのですが、そのほとんどを動物保護センターへ寄付しました(入り口前に寄付用のボックスがあり、そこへ置くだけだったので楽でした)。
代わりにオーガニックコットンのタオルやバスタオルを新調し、家族の肌を大切に守ることができています。また、色が統一されたことで管理が楽になりました(水色は洗面所用、それ以外は全てキッチン用とわけることで洗濯物を畳む時の思考のリソースを削減しています)。
靴や服
「ちょっとオシャレなレストランに行く時用に取っておかないと」と思っていた服や靴を手放しました。その時は一切訪れなかったからです(笑)
「そもそもそんなオシャレなレストランに行くことに興味があるの?」と自問自答したところ、答えは「NO」でした。
ちなみに友人の結婚式には、1着だけ取っておいたドレスに、義理の祖母から借りたスカーフとサンダル、義理の叔母から借りたバッグを身につけて参列しました。
今後も必要な時は家族から借りる、もしくはレンタルしようと思っています。年に1回使うか使わないかのもののためにクローゼットの場所を取られるコストを支払うのは、見合わないと考えています。
また普段着に関しても、100着ほどから30着ほど、そしてそこからまた15着ほど、と少しずつ削ぎ落としていきました。服選びの時間は毎日発生するので、たとえ1分だとしても年間365分、6時間以上を費やすことになります。6時間あればブログが何本書けるか…!自分のやりたいことに時間を使うため、服選びをほとんどしなくて良いほど減らしました。
正直、他人が今日どんな服を着ていたか、夫の服どころか自分の服ですら正直思い出せないことがあります。(笑)
自分にとって、どんなデザインの洋服を着ているかはあまり重要ではないことに気づいたのです。
ただ人生の指針にあるように「地球環境に優しい素材で作られていること」「動物実験などの過程を経ていないアニマルウェルフェアに沿った製品であること」ついてはこだわりたいです。
そのため、それらの基準を満たしている洋服を吟味して購入し、着るようにしています。とはいえ既に買っているもので着心地が良いものは着続けています。完璧を目指すこと(環境や動物に優しい服だけを身につけていること)よりも、できたこと(まずは1着、オーガニックコットンの洋服を選んだ)に注目して、自分を褒めるようにすることで、長期的に自分の理想を追い求められるように、ということは意識しています。
サイズの大きなアパート
夫と話していて、2ベッドルームは必須ではないこと、それよりもバルコニー付きの部屋が欲しいことなど、住む家の条件を話している中で、同じコミュニティ内でアパートをサイズダウンして引っ越すことを決意しました。
内見した後、最短の3日後に引越しをし、話し合いから1週間以内で引越しが完結しました。引っ越し作業中に子どもの面倒をみて昼ごはんまであげてくれた友人、重い荷物を抱えて何度も往復してくれた友人には感謝してもしきれません。
引っ越した結果、掃除や片付けは楽になり、家賃は大幅に下がり、Wi-Fiも見直しによって半額以下の値段になり、部屋が小さくなり北向きになる分、夏のエアコン代も節約できる見込みで、良いことばかりです。またキッチンで料理や洗い物をしながら目の前で子どもが遊んでいるのを見られる間取りなので、日々の家事がちょっと楽しくなりました。憧れだったバルコニーに座りながらブログを書くこの時間、なんとも幸せでたまりません。
子どものおもちゃ・本
まだ遊ぶかもしれないおもちゃでも、数が増えてきたタイミングで少しずつ断捨離をしています。
おもちゃの数と子どもの幸せは比例しない、むしろ反比例する可能性まであるのでは?と考えるからです。多すぎるおもちゃに囲まれていると「何で遊べば良いかわからない」と脳が迷って余計に疲れてしまうし、おもちゃが当たり前にある環境に慣れてしまうのではと思います。
おもちゃが少なければ「昨日はこうやって遊んだけど、今日はこんな使い方をしてみようか?」と創意工夫する余白がうまれます。実際に我が子も、同じ車のおもちゃで複数の遊び方を見出していて感心させられます。時には自分が運転し、時にはピカチュウのぬいぐるみに車を持たせ、そしてまた別の時は私にピカチュウを抱っこさせ、ピカチュウに好きな色を聞いてその車を持ってきて運んだりするなど、バリエーションは増える一方です。
また本でも、同じキャラクターを全ページで探してみたり、赤い車のあるページを探してみたり、色々な方法で楽しんでいます。
「このおもちゃを手放したら、子どもの成長機会を奪ってしまうのでは?」「いつかまた遊ぶのでは?」と迷うこともあったのですが「今あるおもちゃで色々な工夫をして遊べるチャンスだ」とポジティブに捉えられるようになってきました。
子どもの服
子どもの服はどんどん増えていく一方です。「第二子以降のために取っておこうかな」と思ったこともあったのですが、仮に今すぐ妊娠しても10ヶ月後、服によっては更に半年〜1年後まで着られないものもあります。1〜1年半の間、全く使われずにクローゼットに眠り続け、スペースを取られ続けるのはコストに見合わないと思い、お気に入りのものを除いて大量に寄付しました。着ていなくても服はどんどん傷んでいくので、今この瞬間に必要としている子どもたちが着てくれた方が服も幸せだろうと思うと、快く手放すことができました。
使っていない家電製品の付属品
今使っている家電の付属品は無条件で取っておいたのですが、例えば「掃除機を壁に取り付ける時の部品」はおそらくアパートに住んでいる限りは壁に大きな穴を開けることはしないだろうし、家を買う予定も今はないので(数年先の予定)、そのタイミングまで取っておくのは場所を取るコストが大きすぎるということで手放しました。手放しても全く困っていません。
紙の説明書一式
今はネットで検索すれば大体出てきますし、YouTubeで丁寧に使い方を解説してくれているものもあります。紙の説明書を探している手間をかけるなら携帯で検索する方が何倍も早いと思います。
とはいえやや心配性なところもあり、一応ネットで出てくるかを確認してから手放しました。
ちなみに、今は倒産したメーカーの商品ですらネットで説明書を見ることができたので、よっぽどの商品でなければ基本的にネットで見つかるのでは?と思います。
「あ、紙の説明書があったかも?」と考える脳のリソースを割く必要もないのでとても身軽になった気持ちです。
コンディショナーやヘアオイル
私の髪は剛毛なのか、コンディショナーやヘアオイルを使用しようがしまいが、良くも悪くもあまり変化がないことに気がつきました。もし今後買うとしても、へオイルとボディクリームを兼用できるものなど、管理コストがかからない物を購入しようと思ったので、手放しました。
今のところ、全く困っていません。最近は、子どもと同じシャンプーを使用するようにしていて、多少パサつくような感じはするものの、概ね満足しています。
大きなサイズの櫛
今までは大きなサイズの櫛を使っていたのですが、限られた引き出しのスペースがかなり取られてしまうのが気に食わなかったので、コンパクトサイズに変更しました。何度も買い替えると環境への負荷が気になるので、洗うのが簡単でかつ一生使える物を選びました。髪通りが良く、手持ちサイズで大満足です。Chicago Comb Co. (シカゴ・コーム)
食べ物の備品
私の家の冷蔵庫の中はいつもほとんど空っぽです。基本的にその日、もしくは2日以内に食べ切れる量しか保管していません(味噌やケチャップなどの調味料は除く)。
理由は管理が苦手であることと、それによって食べ物を無駄にしてしまう可能性があるからです。
野菜や肉の選択肢が多すぎると「今日は何を作ろう?」と考えることに時間がかかってしまいます。冷蔵庫に入っているものがシンプルだと、今あるもので作れるものは限られてくるので、考える手間が省けます。デメリットとして、今すぐ何か食べたい時に食べれるものが少なく、買い出しにいかないといけないことがありますが、外に出る理由にもなるし、今のところ大きなデメリットではないかなと考えています。
また日常で使う食べ物以外でも、基本的に備品はほとんどありません。
日本の実家では、地震発生時、またその後の避難生活を想定して入念な防災グッズを準備していますが、今住んでいる地域では地震の心配が少ないのと、ハリケーンなど他の災害に関してはある程度予測して準備する時間があるため、それらを想定して準備しているものは少ないです。いざとなれば徒歩でスーパーに買い出しに行けるので、近くのスーパーが自分の防災倉庫だと考えています。
見栄えを意識した小物たち
以前は部屋の上にあるスペースに色々な小物や写真を飾っていたのですが、統一感がなく、情報量が多くて落ち着かないような感じがしていたので、思い切って全てなくしました。
いただいて取っておいたものなども残していましたが「頂き物は、受け取って感謝の気持ちを伝えた時点で役目は終わっている。だから感謝をして手放そう。」と思い、今必要のないものは寄付することにしました。
断捨離の大切さに気づかせてくれた「言葉」
今日、私は奇跡が起こるための余白を作る。大事なのは、奇跡の大きさではなく、奇跡が起こるための余白をどれだけつくるかだ ーカイル・グレイ(作家)
断捨離は、まさにこの余白作りだと思っていて、私もこの言葉の通り、断捨離を実践してクローゼットや家のスペースに余白を作るうちに奇跡が舞い込んできました。それは、バルコニー付きの部屋に引っ越したことです。いつも夫や子どもと散歩しながら「こんなに天気が良い日は、バルコニーに座って過ごしたいよね。」と良く話していたのですが、特に引っ越す計画は立てていませんでした。でもちょうど大きな断捨離(大きなスーツケースに大量の服、子どものタンス)をしたタイミングで、ちょうど内見してみようという話が出て、内見から最短の3日で引越しが実現しました。
賢明な人間は、持っていないものがあると嘆かず、持っているものに喜びを感じる ーエピクテトス(古代ローマ時代 哲学者(ストア派))
持っていないものを手に入れたいという夢想にふけるのはやめなさい。あなたが神に与えられた恵みが確かにあるのだから、その主だったものを数え上げなさい。そして、それがなかったらどれだけ切望したかを思い浮かべて、感謝の気持ちを忘れないようにしなさい。ーマルクス・アウレリウス(古代ローマの皇帝・哲学者)
私は信仰している宗教がないので、神の存在についてはよくわかりませんが、それでもこの言葉は私に大きな影響を与えています。特に「それがなかったらどれだけ切望したか。」という言葉はとても印象に残っていて、いつも日常で考えるようにしています。家族、友人はもちろん、例えば冷蔵庫や洗濯機、蛇口をひねればすぐに出てくる水やお湯、屋根のある部屋など、当たり前にあるようで、その全てが当たり前でないし、なかったらどれだけ切望するか、ということを痛感するようになってからは、心がほんの少し穏やかに、日常に感謝できるようになったと思います。
食べるのは飢えを和らげるため、飲むのは喉の渇きを癒すため、衣服を身につけるのは寒さを防ぐため、住まいは個人的な不快感から身を守るため、それだけにしなさい。ーセネカ (古代ローマの政治家・哲学者(ストア派))
とても本質的だとは思いつつ、私にはまだこの領域には達することができていません。飢えを和らげるだけでは満足できず、食べたいものを選んでしまうし、同じものだけを食べ続けるのは到底できないと思います。ただ、この状態に達すると、余計なノイズに惑わされず、本当に自分の生きたい人生を生きられるんだろうなとも同時に思います。だからまずは手元のメモに残し、忘れないようにすることから始めようと思っています。
人生でしなければいけない一番大切な仕事は、思い出作りです。最後に残るのは、結局それだけなのですから。
この言葉そのものは誰の言葉か覚えていないのですが、私の尊敬するホールフーズの創業者 ジョン・マッキーは、以下のように、似ている言葉を発言されています。
多くの人は、お金を貯めることや、キャリアを築くことが『人生の仕事』だと思っている。でも、死を目前にした時、銀行の残高を思い出して微笑む人はいない。 最後に私たちが持ち寄れるのは、『あの時、誰とどこで、どんな風に心が震えたか』という記憶の断片だけだ。だから、思い出を作ることは、人生における最も真剣な義務なんだ。
私の人生に衝撃を与えた「民族」との出会い
タンザニアの北部に住むハザベ族(Hadza/Hadzabe)という民族の暮らしにとても興味があります。
彼らは現代において「地球上で最も古くから続くライフスタイル」を守り続けている、世界でも数少ない完全な狩猟採集民です。彼らは究極のミニマリズムを体現していて、「私有財産」という概念がほとんどないそうです。
- 持ち物は片手で運べる分だけ: 弓矢、ナイフ、数枚の布、鍋ひとつ。住居(草で編んだ小屋)も、獲物を追って移動するたびに数時間で作り、去る時はそのまま自然に還します。
- 「今」を生きる: 食べ物を貯蔵しません。「明日食べる分は、明日自然が与えてくれる」と信じ切っているため、冷蔵庫も銀行口座も、それに伴う「将来への不安(ノイズ)」も彼らの人生には存在しません。
彼らの生活は、私には絶対真似ができませんが、考え方は真似ができるかもしれない、と思い、日々の生活で彼らの精神を思い出すようにしています。「ハザべ族だったらこんなことには迷わず、今をただ生きているよな。」と1日の中で1回は考えます。
断捨離本に惑わされない
私は断捨離するにあたって、無数の断捨離本を読み漁り、関連YouTube動画も沢山視聴しました。
とても勉強になり、たくさん背中も押してもらえましたが、「この人にとっての断捨離の正解は、私のとっての正解ではない可能性もある」ということは常に意識していました。
例えばある人が「卒業アルバムを断捨離した。本当に見たい時は友人の家に行けばいい。」と話していて「思い出アルバムは絶対に捨てない。」と考えていた私にとっては目から鱗の考え方でした。
ナイスアイディア!とは思いつつ、私はまだ手放さないと思います。
今、義理の両親が夫の小さな頃の写真を沢山見せてくれることはとても嬉しいですし、息子の当時の彼の写真を見比べるのはかなり興味深いです。いつか子どもや孫が写真を見たくなった時に渡せるよう、手元に残していたいなと思います。データで残す手もありますが、古くなったアルバムをめくりながら家族で談笑する時間にはとても価値があると考えていて、私の中では残しておきたいな、という気持ちが強いです。また気持ちが変わるかもしれませんが。
だから今、私が書いているブログを誰かが読んでくれたとして、全く考えに同意できなくても良いし、むしろ素晴らしいと考えます。「同意できないこと」にも理由があり、そこにこそ「自分の大切にするものが何か」というヒントが眠っていると思うからです。
これから断捨離したいもの
私はかなり目が悪いので、コンタクトとメガネが手放せない生活です。メガネは煩わしいですし、コンタクトは管理が地味に面倒で、洗浄は時間もかかって大きなコストになっています。いつか手術を受けて、どちらも手放せるようになりたいと思っていて、100のバケットリストにも記載しています。
まとめ
断捨離は、自分にとって大切なことを見つけ出すとても大切な作業で、終わりはないと思っています。減らすことを目的化してしまいがちなのですが、その過程で「自分は何を大切に生きたいのか」を常に問い続けながら、前向きに生きるヒントを得続けようと思います。

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